Dance & Retreat
KANASHA Neue
かなしゃノイエ
ヴォイス・ヒーリングとは
「音」とは、そして「癒し」とはいったい、何なのでしょう?
「世界の全ては振動している」
「観察者の意識が対象の在り方に影響、決定する」
「電子は粒であり、同時に波でもある」
このようなフレーズをどこかでお聞きになったことが、おありかと思います。
(ここでは量子物理学上の突っ込んだ詳細説明はご容赦ください^^)
それら
微細も微細、目に見えない世界から、そこいらの固い(ように見える)テーブル。。。といった次元まで
この世界の幅広い様相を「音」は軽々と飛び越え、響きあい、働きかけあっています。
身体という楽器を奏で「声」を響かせながら、その宇宙の様相を我々は全身で聞いています。
共振・共鳴
世界の全ては「音」であります。
全てのモノは振動している。「音」を奏でています。
モノには全て固有の振動数があり、同じ周波数を鳴らしてあげるとその個体が動き出す、という性質があります。
同じ音程の2つの音叉の、片方を鳴らすともう一方も鳴り出す。
マイクのハウリング。ある種の音を鳴らすとワイン・グラスが割れる。
表をトラックが通ると家の中の戸がガタガタ言う。etc…
腎臓結石を衝撃波で粉砕する、など、医療の現場でも「音」は使われています。
この「共振、共鳴」の原理によって
☆ 心身の何らかの滞り、根深く抱えこんだ緊張に対し「それそのもの」にあった振動数の音を使い、膠着状態に動きを出す
「それ」を、表現し尽くし出し切ることをサポートする(未完の反応は、いつまでも筋肉に残り過緊張を引き起こします)
また、
☆ 「本来の生命力、輝き」を表す周波数の音を使い、共鳴を誘う
という、ある意味両極のアプローチをとることができます。
例えば中国や朝鮮、ヨーロッパなど世界各地で見られる「泣き女」と呼ばれる風習。
(お葬式のとき、渾身の「泣きパフォーマンス」を提供してくれるそうです。悲しみがなるべく後をひかないように、
代わりにみっちり表現してくれる)
例えば賛美歌やマントラ、祝詞、お祭り、、、
そして世界中の文化、文明に生まれてきたありとあらゆる音楽の背後にその
「共振、共鳴」が存在し
耳から肌から、我々の文字通り「全身全霊」「はらわた」に
「揺さぶり」をかけている^^
もしくは誘っている。
悲しいとき、泣きたいときに泣ける音楽、好きな音楽をかけて浸ってスッキリしたり、
または全てのストレスがぶっ飛ぶような音をガンガンかけて歌い踊り飛ばしたり、
ラブなときはウットリめのラヴい歌もので盛り上がったり。
誰もが誰に教わることもなく、音を使って自然にバランスをとっています。
「ヒーリング」という概念、コトバが登場し近年の流行により消費され尽くすよりも、遥かに遥かに昔から。
音、声は人間のいとなみのなかで、あたりまえに大きな、重要な役割を果たしてきました。
あたりまえ過ぎてちょっと相応には気づけないくらいの大きさを、占めているのです。
倍音
シンセサイザーなどの「単音」と違って、自然な音には必ず「倍音」(=整数倍の比を持つ振動数の音)が含まれています。
人間の脳は、倍音がたくさん入った音を聞いているとリラックスするようにできています。
また、単調なリズムの繰り返しも、これを変性意識状態へと誘います。
日常の、マインドの雑音にまみれた状態からα波、さらにはシータ波まで深く降りていくことにより
雑事を超えた何らかの気付きや大いなる視点を得ることもあります。
読経やクリスタル・ボウル、シンギング・ボウルの音や、生楽器の音、自然の水音、気持ちよい人の声、などなど
意識が日常と変わった感じになっていく環境要素として「倍音」や「リズム」は大きなお役目を果たしているのです。
「日常と変わった感じ」「変性意識状態」になると、どんないいことが、あるのでしょうか?
わたしたちが日頃「問題」と感じていること、「困ったな」と思っていること、
そう思っていることにも気づけないくらいのこと、
諸々の思考、感情と、「距離を置く」ことができる。
「困ったニャー♪」=「自分」ではないと、リクツではなくカラダでわかる。
「思考」「感情」と「自分」の間には100万光年のスキマが、あるのだと。
そうすると、身の回りの状況の何も変わらなくても、何も解決しなくても、
何かを「問題視」する必要がなくなる。
「な〜んだ。じぶん、大丈夫じゃん♡」に、気づくというわけです。
懸案のお題について何らかのアクションを起こす際も、
「大丈夫♡」な場所から落ち着いて行動していくことが可能となります。
もちろん、倍音はただ単に、気持ちよくって楽しい☆
個人的には、それがいちばんです^^
声は鏡
指紋と並んで、犯罪捜査の決め手になってしまうくらい「個人」の特定が可能なのが、「声」です。
声=身体
そして身体には当然その「使い方、取り扱いの歴史の全て」が、出ます。
その身体を運営する「意識」「スピリット」「魂」のありようの全てが、声には反映されます。
あらゆる次元の情報が全てのっている。
はっ。
と気づいたときにはすでに全宇宙、全人類プラス個人の歴史がてんこ盛りに記録されてしまっている(笑)
おっそろしく正確なハードディスクのようなもの。
そのひとという楽器の、そのときの全て、使い方の全て、全情報がそこにある。
だからこそ、そこに意識的に何らかのエネルギー、意図、情報をのせ
自分や他人の全身全霊、全細胞に伝達するキャリアとして使うことも可能なのです。
Holos
Heal, Health, Whole, Holy などの語源となっているのは、ギリシャ語のHolos、ホロスということばだそうです。
意味は「全体、すべて、完全なる姿」といったところ。ちなみに反対語はAtom(原子)。
「ヒーリング」「癒し」という言葉は、いまや「愛」や「ノマド」と同じくらいの幅広さをもって使われていますが、
本来の濃いところは「すべてのつながりに気づいている状態」「『わたし』とは何ものであるか思い出している状態」
全体性への回帰、完全性へのチューニングをめざした言葉であると、私はとらえています。
では「全体性」って何?「完全」「すべて」って?宇宙って?
いよいよ「語ると落ちる」次元に突入してきましたので、言語化を自粛したいと思います^^
個人的には、「ヒーリング」が起きるときは、ウソがなくなり、その場しのぎじゃない、「大丈夫な感じ」 がします。
そして、空っぽで、明晰。楽ちん。「何か」をしなくていい感じ。
自然。
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ざっくり書きましたが、
このような、「声」の性質を用いて人間がそのバランスをとっていく行為
全体性、創造性、神性とのつながりへとかえっていく行為は
儀式と医療が一体で、シャーマンがお医者さん役をやっていたような時代にはあたりまえだったろうと思います。
「お祭り」という派手な「ハレ」の場で、ただ歌や踊りとの「共鳴」を楽しむうちに
おさえられているものが表現しきられ、「それ」への執着が手放され、チューニングが整い、
ピュアな生命力があたりまえに発現していく。
歌いたいものが歌われるままに、踊りたいものを踊りたいがままに。
そうこうしているうちに
「勝手に」バランスがとれていく。
我々にはそういうシステムがあるのだと。
そのシステムが「いまどんな案配になってるのか」がわかりやすいのが「声」、
そのシステムが自然に発動する「場」である「今」にチューニングしやすいのが「声」であり、「踊り」であり。
もちろんあらゆる表現はそのチカラの発露の場であります。
まだまだ、目に見えない=アヤシいとされがちな現代ではありますが、西洋の医療、臨床の現場でも、
変わり者のお医者さん(「音による癒し」著・ミッチェル・ゲイナー氏)などによって
「ヴォイス・ヒーリング」は少しずつ取り入れられ、認められはじめているようです。
お母さんの子守唄。
神道のお祓いなどの、「きえ〜ぃ!!!」といったかけ声。
ブルース・リー先生の気合いのお声。
読経や祝詞、賛美歌。
男が女に、女が男にささやくときの声。
誰かの悪口や、愚痴。
いろんな演説。
家族のヒステリーや罵声。
テレビから聞こえてくる声。
あらゆるポップ・ミュージック。
赤ちゃんの泣き声。
こどもたちの、笑い声。
あなたがふだん聞いている声、発している声には、どんな情報がのっているでしょうか。
それはあなたに、どんな影響を及ぼしているでしょうか。
あなたの全身の細胞は、何を押しとどめ、何を語っているでしょうか。
あなたの全身全霊は、何を聞きたい/発したいでしょうか。
ぜひ、ご自分の声で実験・観察してみて頂けたらと思います^^
カラダいっこあればできる。無料でソートー楽しい遊びです^^